JOURNAL Voyage 2

INTERVIEW w/
SHUKOU TSUCHIYA

INTERVIEW

SCÈNEアーティスト インタビュー
感謝や慶びを水墨画で描く〜土屋秋恆さん

SCÈNEで展示を行うアーティストに、SCÈNEディレクターの山本菜々子とSCÈNEアドバイザーの田辺良太がインタビューを行う本シリーズ。今回は、水墨画の師範でありながら、型にとらわれず他ジャンルのクリエーターやVRなど最新技術とのコラボレーションも積極的に行っている土屋秋恆さんに、水墨画に対する思いや作品のインスピレーションの源などについてお話を伺いました。

自然に抱く感謝を表現する

山本
18歳で水墨画を始め、異例の速さと若さで、2年で師範になったと伺いました。
土屋
実際は、その間の1年間オーストラリアに留学していたので、師範になったのは21歳のときです。今後の人生には絶対英語が必要になると思って、勉強しにいきました。周りが楽しそうにしている中で、ほとんど遊びもせず地味にずっと勉強をしているような1年間でした。
山本
土屋さんの作品からは溢れ出る自然のエネルギーを感じるのですが、描く対象はオーストラリアをはじめ行かれた土地の影響も受けるのでしょうか?
土屋
土地に下り立ったときに、その土地のエネルギーを強く感じることがあるのですが、留学していたブリスベンもそんな土地の一つです。ハワイに行ったときもそうだったのですが、強烈なエネルギーで強制的に充電されているような、形容しがたい感覚になりました。表現が難しいのですが、自分なりに言葉にするとしたら“めでたい”というような感覚です。だから日本人は正月にハワイに行くのかなと思いました。
山本
野宿が趣味の人がいて、体調を整えるためにそのとき自分に必要なパワーを持つ土地に行って野宿すると聞きました。ここの土地は肩こりに効くぞ、とか(笑)。土屋さんはそんな大地のパワーを鋭く感じる方なのかもしれませんね。
土屋
土地もそうですけど、子供の頃から大きな植物や美しい枝ぶりの木などにも、特別な思いやありがたいという感謝のようなものを感じていました。
ライブドローイングでは、下書きをせず、ものすごい勢いで考えずに木の枝を描いていくのですが、枝の形や木の形を描いているというよりも、自分が子供の頃から感じている、ありがたさを描いているんです。力を与えてくれた植物の姿や記憶の投影、感謝や慶びの形を表しています。
山本
そういう意味では、土屋さんの絵は具象というより抽象画なのでしょうか。
土屋
自然を前にしたとき、対峙したときには、自分がニュートラルであることが求められます。自分が傾いていたりすると、ひらめきとかインスピレーションが真っ直ぐに入ってこないので、常に真っ直ぐでニュートラルな状態でいられるように心がけています。
山本
そういうお話を伺うと、土屋さんは思想家的な面もお持ちであるように思えます。今のようなお考えになったのは水墨画との出会いが影響しているのでしょうか?
土屋
自分が水墨画を始めたときは18歳でしたし、ただきれいだなと思って始めたので、今よりもニュートラルな状態でいることが難しかったですね。最初の頃は若くて前のめりだし、興奮の度合いも大きくて、若さゆえのメンタリティの波がありました。そういう波は全部筆に出てしまうんですよね。なので当時は「早く歳を取ってじいさんになりたい、落ち着きたい」と思っていました。だんだん歳を重ねて今ではストンと座れるようになって、自分の状態も整えやすくなりました。

自分自身がニュートラルでいること

山本
水墨画を描くときに大事にしていることはなんですか?
土屋
やはりニュートラルでいることです。悲しみも、その最中にいるときには描けなくて、その悲しみを乗り越えてニュートラルになった人が描けるようになるのではないでしょうか。木の美しさに飲み込まれているときには、その美しさは描けないと思います。
山本
素人ながら、文章を書く場合だと、その最中にいないと書けないものというのもあるかと思うのですが、水墨画では違いますか?
土屋
水墨画の筆は、平面だけでなく上下左右と三次元で動くので鉛筆で文字を描くときよりもエモーショナルなものが影響しやすいのかもしれません。そのときの状態がすべて筆に出てしまいます。紙や筆・墨の状態、気候や湿度もその時々で違います。いくら同じ種類の紙を使っても一枚一枚違いますし、筆も動物の毛でできているので個体差があります。そんな一つひとつの微妙な違いを感じ取るためには自分自身がニュートラルでいることが大切なんです。
山本
以前に、ライブパフォーマンスの時は周りの人の雰囲気や熱意を作品に反映させるとおっしゃっていましたが、そうやって周りのいろいろなものに耳を澄まされるんですね。
土屋
水墨画は伝統的なものなので手本があります。全く同じように描くためにエネルギーを使うこともできるのですが、雰囲気ごとに多少絵が変わることを許した瞬間に、自分の気持ちも、筆や紙や空気の気持ちも受け入れて楽しめるようになると、絵が伸びやかになります。
山本
おっしゃるように水墨画には型があると思いますが、土屋さんはある種の型破りなことにも挑戦していらっしゃいますよね。どのような想いから、現在の作風を生み出されたのでしょうか。
土屋
はじめの10年間は、とにかく型から出ないようにしていました。でも、7、8、9年目くらいには、なんで描いているのかもわからず、ストレスで吐き気がするような時期を過ごしました。自分が描いているものが、自分らしさもなく、自分が初めて水墨画を見てきれいだと思ったものとも違ってきているように感じて苦しかったですね。その頃は「正しい水墨画」というものに囚われて、例えば満開の桜を見ても、そこに色を見てはいけないと自分に言い聞かせて、本当に景色が墨色に見えるようなこともありました。あらゆることに対して、自分自身で自由に感じるスイッチをオフにしてしまったような状態でしたね。
ある時、TENKIというアートユニットを一緒にやっているスタイリストの三田真一(注:デザイナーのスズキタカユキも含め3人ユニット)が、「なんで同じものばかり描いてるの? もう飽きたよね」と言ったんです。最初は憤慨する気持ちもあったのですが、周りの人に聞いてみても同じような意見だったんです。自分の中でも納得する部分と反発する気持ちがせめぎ合っていたのですが、そこから色をつけたり、英語を書き殴ってみたり、アクリル絵の具をぶちまけたりといろんなことをやってみたんです。そうしたら今まで閉じていた頭の蓋が開いて、気持ちも自由になれました。そして、やっぱり絵が好きだったんだということにも気がつきました。
山本
景色が墨色とは、またすごいですね。型を守っていた10年間はずっと辛かったですか?
土屋
最初の5、6年までは楽しかったですよ。ただ日本の伝統文化をやっている若者が少ないということで、自分がやらなきゃという義務感のようなものもありましたし、7年目ぐらいからは意地で型を守っていたようなところがありました。

水墨画との出会いは祖父のコレクション

田辺
子供の頃に水墨画を見てきれいだと思った、それが水墨画との出会いだったという話が出てきましたが、最初に見たのはどんな水墨画だったんですか?
土屋
昔、母方の祖父が下呂温泉で大きな旅館を営んでいました。大正後期や昭和初期には結構繁盛していて、行商の美術画廊の人がよく出入りしていたそうなんです。祖父が浮世絵や水墨画などが好きで、そういうものを中心にかなりの数をコレクションしていました。そこに子供の頃遊びに行き、いろんな作品を目にして「かっこいいな」と思っていました。
田辺
子供の頃の経験というのは、強烈に残りますよね。
土屋
それに母親が、英語教師をしながら英語を研究するラボにも出入りしていて、子供の頃から外国人に日本の文化を紹介するというような場面を直に目にしていました。なので、物心ついた頃には日本人とはこういうものなのかということを認識していたのだと思います。
 若い頃は、流行やファッションでアメカジなど西洋的なものを好きな時期もありましたが、自分は白人ではないし、日本人・アジア人なんだというアイデンティティを意識するようになったときに、日本には水墨画というすごくかっこいいものがあるじゃないか、と改めて気がついたんです。
山本
土屋さんは、日本文化を継承、また発信していくということを、どのように考えていますか?
土屋
私はポップなアプローチもしていますが、そもそも伝統あるものの昔からある定義のようなものをそのままやっていれば文化を継承していることになるのか、という疑問を持ち続けてもいます。変えてはいけない伝統もあるかと思いますが、文化の担い手には脳のフレッシュさが必要だと思います。かぶくというか、いろんな刺激を受けながら新しいことに挑戦しつつ、自分の中のある種の正統さを保っていくことが大事なのではないでしょうか。見る人にわかりやすい提案をしながら、その文化に関わる人が増えた方が、その文化を啓蒙するということにもつながると思います。
山本
私もSCÈNEで展示させていただく作品には、本物であるということは大前提なのですが、ある種のホップさというか、わかりやすさ、親しみやすさを持ち合わせた作品を選んでいます。土屋さんの言うように多くの人に関わってほしい、アートにまず触れてもらいたいという思いで、眉をしかめて難しい顔をして見るだけのものではなく、「アートって楽しい、素敵、美しい」と思ってもらえるような作品を選んでいます。

何かを見たときに感じるものをどう描くか

山本
土屋さんの作品は、型があっての型破りで、大胆でありながら繊細かつ詩的なものを感じます。どのようなものが土屋さんの心の琴線に触れ、描きたいと思わせるのでしょうか
土屋
描きたいと思うものはたくさんあるのですが、私の場合は何かを見たときに見たものそのままをデッサンのように描くのではなくて、そのものを見たときに感じるものを自分の中に取り込んで、何をどう出すか、というように描きます。
師範になった頃に、4、5年間具体美術協会にいた松田豊さんの現代美術教室に通ったことがあります。そこで現代アートのアプローチはかなり鍛えられたと思いますし、今でも絵を描く上でそのことが役に立っています。
田辺
水墨画という表現を使いながら、アプローチはすごく現代アートですよね。やはり何かを感じていかに形にして出すという意味でも、ご自身がニュートラルな受け皿にならないと描けないということなのかなと、お話を伺っていて思いました。
山本
今描いてみたいと思っているものはありますか?
土屋
今は人間を描いてみたいと思っています。今までも描いたことがないわけではないですが、ふつふつとそんな思いがこみ上げてきています。

沖永良部島の海で感じた過酷さを描く

山本
今回のSCÈNEでの展示は、「-La mer-」(フランス語で「海」)というタイトルですが、どんなところから着想を得たのでしょうか? 離島に行かれているというお話も聞きましたが、そこでの経験も影響していますか?
土屋
そうですね。ここ数年沖永良部島に通っているのですが、その海で経験したことが大きいと思います。私自身はどちらかというと山派だったのですが、妻の両親が沖永良部島の出身で10年前に故郷に帰ったことをきっかけに、毎年島に遊びにいくようになったんです。最初はよそ者扱いというか、島の人もあまり近づいてきてくれなかったのですが、何度も訪れるうちに段々と打ち解けてきて、4年目くらいにしこたま酒を飲まされた後ぐらいからは同世代の仲間もでき、一緒に海にも連れて行ってもらえるようになりました。
 そこで夜の真っ暗な海に潜ったり、一人で沖に出るようになって、山に感じていたような畏敬の念や、巨大なものと自分が対峙する感覚のようなものを海にも感じるようになりました。そして海で、過酷さ、寂しさ、真実、絶対的なものを感じ、人間もその過酷さ(自然)の一部であるということを再認識しました。その感覚をどうにかして作品に出したいと思っています。
 また数年前から、島の子供たちに水墨画を教えているのですが、青い海、空、強烈な緑、赤い土という自然に囲まれて育っているので、色彩感覚もすごいですし絵も抜群にうまくて、こちらも子供たちからすごいインスピレーションをもらっています。
山本
土屋さんの作品はモノクロでも、色が見えてくるようです。
土屋
ありがとうございます。モノクロームは究極の色彩だと思います。以前見た小津安二郎監督の映画『浮草』の構図や抑えた色彩にはアッパーカットを食らったような衝撃を受けました。やり過ぎないというか、「間」があって、人間の想像力や記憶の扉の鍵を開けるような作品だと思います。水墨画でも近い表現ができるに違いないと考えています。
田辺
見る人に奥行きを感じさせる水墨画と、小津作品は似ているところがあるかもしれませんね。
山本
小津監督は、小道具にすべて本物を使うと聞いたことがあります。やはり本物を使うことで生まれる緊張感や所作などが作品にも表れるのでと思います。
 最後に土屋さんにとって水墨画とは、一言で言うとなんですか?
土屋
墨色と筆勢と構図、この3つですね。
 墨色では、白から黒の無限の色彩が、そのときに応じてきちんと表現できているか。筆勢は、運動学的なアプローチでもありますが、思うどおり迷いなく筆が運べているか。構図は、間が担保されていて、それに対して必要なアングルですべてが整っているか、だと思います。
山本
今日は素敵なお話をありがとうございました。

文・構成:山下千香子
写真撮影:石塚定人

SCÈNEからの質問

Q.土屋さんにとって美とは?

愛です。
美しいと思う心も愛ですし、
美しいものを生み出す心も愛だと思います。

Q.土屋さんにとってアートとは?

同じく、愛ですね。

PROFILE

土屋 秋恆(つちや しゅうこう)

水墨画家、南北墨画会師範、ステインアーティスト。
18歳で水墨画を始め、2年という異例の早さで師範となる。

古典的技法への高い評価へもさることながら、マーカーや蛍光アクリルなど現代的な画材を古典技法と合わせて描くその独自のスタイルにも絶大な支持が集まる。

数々のハイブランドとのコラボレーション、SONY、CHIRISTIAN DIORなど世界的ブランドのVIPパーティでライブパフォーマンスを展開するなど、幅広いアーティスト活動を行っている。
http://www.bokusenkai.com

ARCHIVE

JOURNAL SCÈNE 3
INTERVIEW w/ SHINSUKE KAWAHARA

日常の積み重ねが、美につながる(河原シンスケ)

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